ーこのブログは、東日本大震災による南三陸町、気仙沼市の被災者に直接物資支援を行ってきたプロジェクトの記録です。更新は停止していますが、被災地支援の記録として残しています。
≪3・11から1年≫
「私たちは負けない!」(現地世話人)
「苦しみ悲しみ」(ホタテキャンドル)
動画1福洋丸
動画2ホタテキャンドル
2013年2月26日火曜日
2013年2月25日月曜日
2013年2月22日金曜日
卵届きました!
2013年2月20日水曜日
お雛さま!
2013年2月14日木曜日
災害公営住宅の着工式!
2月14日「南三陸町入谷桜沢 災害公営住宅の 着工式が午前10時から行われます。 テレビ撮影用のテント椅子等が 設置されてました。 この費用違う所で使って欲しいと思うのは 私だけかな? 」(志津川入谷Canさん)
※3階建ての21戸が二棟 一戸建て住宅9棟が建ちます 家賃が発生します 。
1年11カ月!
2月11日、「2ヵ所のお団子作り 。旭ヶ丘地区の家が残った所と志津川中の下の県合同庁舎があった所。 今は、合同庁舎は 取り壊され更地になりました。
また、気仙沼市小泉の行方不明の方の御供養をしました。
志津川から20分 家のお墓が有るの場所 母の実家が有り 子供の時 夏休みは、ここで過ごした 。大事な故郷だったけど 津波で何もかも、無くなり
寂しくですね…。小泉大橋側の 二つに割れた山 地盤沈下で海に成った赤崎海岸、 辛い光景です
今朝、川崎の松下様より納豆。 埼玉県O様より 自然薯を頂きました 早速小泉地区の方に渡しました ありがとうございます」(志津川入谷Canさん)
」
2013年2月7日木曜日
卵ありがとうございます!
2月7日、「横浜市のH氏から、卵ダンボール箱頂ました。この卵 大人気です。黄身がつまめます。ありがとうございました。 今日は、北方領土の日ですね。まだまだ寒いので、皆さん、体にきおつけてください。それでは」(志津川袖浜仮設Oさん)
自分の土地に建てた仮設!
2月6日、「気仙沼市階上地区、家の一階が津波で駄目になる 被害にあい 家の跡地に仮設を建て、6人で暮らしていました 。 風呂桶は拾ったものだそうで、そこに薪のボイラーを据え付け、周りはビニールシートで覆っていました 。集団で仮設に入って気を使うより、この状態でも、
節分です!
1月31日、「大阪市のK様より、衣類、節分豆等
小さい湯タンポを頂きました、窓越しのお日様は春の日差しに、 なって来ましたね、
小さい湯タンポを頂きました、窓越しのお日様は春の日差しに、
インフルエンザはまだ、流行しています。 皆様気を付けて下さいませ」(志津川Canさん)
2月2日、「川越市のS様よりサラダ油、ハンカチ、靴下等 頂きました、父が亡くなり 今日はお葬式でした 震災後は哀しみは倍です。小さい湯タンポを頂きました、窓越しのお日様は春の日差しに、
2月3日、「親子3代10人家族 荒砥仮設2世帯分に入って居る方です。みなさんからいただいたものをお渡ししました。喜んで帰り した ありがとうございました」(志津川Canさん)
悲しい報告です。
Canさんのお父上が亡くなられました。
「父、安雄は33年前52歳に脳梗塞を患い、心筋梗塞を2回、3年前に又脳梗塞になり 、また、口からの食事の誤飲が原因で肺炎が続いた為、 胃へ穴を開ける手術をし、胃ろうの状態、 言葉もはっきりしない寝たきりで、3、11震災の時は志津川病院に入院中でした。
津波が窓から入り、寝たきりの父のベッドのマットが、 浮いた所を夫と看護婦さんがシーツを持ち上げ、 五階へと助けて頂いたのです。その後、 石巻日石病院から山形県の病院に搬送され山形の病院で手厚い看護 をして頂き、 再び、米山の志津川病院の間借り先に帰ってきました。
志津川病院では、顔見知りの、看護婦さんに、喜んでいました。その後、老人施設との間をいったりきたりしましたが、最後は 隣町の老人ホーム 光風園に落ち着き、園の職員の方々に本当に良くして頂きました、 27日、娘と会いに行った時も何時もの、父でした。寒いので、 早く帰る様、動く方の右手と片言で、雪で、 道路が悪いと帰るのが、大変だからと、思ったのでしょう、 帰れと、言われ、40分も居ないで、又来る~ね バイバイと何時もハイタッチで別れ来たのが、最後でした。
30日朝5時オムツ交換をするさい、反応がないので豊里病院に搬送されました。私は6時前に病院に着きましたが、眠る安らかな顔に安心しました。
携帯電話に父が居る場所の名前が出る度、悪い知らせでは無いかといつも、ドキドキしていました 高齢者が、居る家庭は皆そうだと思います、31日の、火葬 2月2日の、葬儀になりました」
「父、安雄は33年前52歳に脳梗塞を患い、心筋梗塞を2回、3年前に又脳梗塞になり 、また、口からの食事の誤飲が原因で肺炎が続いた為、 胃へ穴を開ける手術をし、胃ろうの状態、
津波が窓から入り、寝たきりの父のベッドのマットが、
志津川病院では、顔見知りの、看護婦さんに、喜んでいました。その後、老人施設との間をいったりきたりしましたが、最後は 隣町の老人ホーム 光風園に落ち着き、園の職員の方々に本当に良くして頂きました、
30日朝5時オムツ交換をするさい、反応がないので豊里病院に搬送されました。私は6時前に病院に着きましたが、眠る安らかな顔に安心しました。
携帯電話に父が居る場所の名前が出る度、悪い知らせでは無いかといつも、ドキドキしていました 高齢者が、居る家庭は皆そうだと思います、31日の、火葬 2月2日の、葬儀になりました」
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