2013年3月29日金曜日

志津川に慰霊に全校からお坊さんが・・・。


3月26日、「日本各地から宮城に和尚様が35人来て頂きました。志津川には7人の和尚様に6ヶ所を拝んで頂いたのです 写真上は老人ホームです 壊しかたが始まりました 大親友が亡くなった場所です。いつ 悲しみが私から消えるのでしょう… 」(志津川入谷Canさん)

2013年3月22日金曜日

シーツ、卵ありがとう!

3月22日、「豊橋市 Hより 厚手のシーツ13枚頂きました。 早速高齢者夫婦の方にお渡ししました 喜んで帰りました。ありがとうございます」(志津川入谷Canさん)
3月25日、「武蔵野市から卵2箱を頂きました。 毎月です 本当にありがとうございます 志津川中仮設 入谷仮設に渡しますね」(志津川入谷Canさん)

リクエストします 「団子粉、片栗粉、天ぷら粉、飴」!

3月19日、「千葉県のT・H様より缶詰 衣類 クーキー マスク ココア ドーナツを焼機等、沢山頂きました 必ず励ましのお手紙も添え頂きます ありがとうございます。 送る物にお悩みだとお手紙に書いて有りましたので、リクエストをお願いします。
11日にはお団子作をして 和尚さんにお経を唱えて貰っております。
団子粉 片栗粉 天ぷら粉、又、高齢者は飴を好みます できれば…皆に渡ればと思っております、宜しくお願いします 」(志津川入谷Canさん)

2013年3月18日月曜日

水産加工工場が中国人を雇用!

宮城県南三陸町に、このほど再建された小さな水産加工工場が中国人数人を採用しました。経営者は津波で夫と工場を失った女性で、「工場を再開して地元の人たちの雇用を確保したい」というのが夢でしたが、働いてくれる人がいなくてやむを得ずということのようです。なぜそうなったのか、毎月、南三陸町を訪問している川崎市の松下さんに中国人雇用の背景を説明してもらいました。

 

現在、被災地では地場産業の水産業の人手不足が深刻と報道されています。水産業、水産加工業は南三陸町など多くの沿岸市町村にとって地場の主要産業であるだけにゆゆしきことです。
実際に現地に行って話を聞いてみると様々な背景があるようです。
人手不足なのは、ひとつは復興の遅れで地域を見限って人口そのものが減少していることがあります。
もうひとつは、大震災から2年が過ぎた現在でも国や自治体がガレキ処理のために多くの人を雇用しています。
このため、水産加工業まで人員が回らず、やむなく外国の方を雇用している工場が出てきたようです。この女性経営者のケースも同じようです。
もちろん、水産加工場の賃金が高ければいいのですが、皆さん、地場の中小企業で、借金をして必死で大震災以前に戻るべく努力をしておられるのではそうはいきません。
実際にがれき処理の仕事は国が賃金を支払って水産加工業に比べて相当高い水準に設定されているのです。
誰でも、同じ仕事であれば賃金の高い職を選びます。結果、水産加工業は、寒い、きつい、安い、と3拍子揃っているとみなされているようです。
外国人を採用せざるを得ないことは、工場にとっても大きなマイナスです。水産加工の仕事は単純なように思えますが、実際に拝見してみると実に細やかな考え方が必要な仕事です。例えば、我々、日本人であれば塩を機械にかけるような事はしません。ところが考え方も習慣も違う国の方にとっては問題の無い事もあります。これをひとつひとつ理解させて指導していくのは大変な労力を必要とします。即戦力が必要なのに戦力のない方を雇用せざるを得ないのは体力の無くなってしまった企業にとっては大きな負担です。
 大震災が発生して多くの方々が家も職も失った直後は高い賃金の国の施策は有効でしたが、しかし、せっかく復興しつつある地場産業の成長を奪ってしまってはなんにもなりません。今後は賃金が下げられないのであれば、地場産業に対して賃金補助を行うような施策も必要なのではないかと考えております。
                  (川崎 松下徳太郎)

追伸

山際 様
以前にも書いたことがありますが、南三陸町には非常に多くの仮設住宅があります。ご存知の通り、南三陸町で便利な地域のほとんどは津波で壊滅してしまいました。そのため多くの仮設は不便な地区や山の上に建設されています。私自身、いくつもの仮設にお邪魔していますが、坂がきついだけでなく、切り返さないと曲がれないような道を通らなければならない場所が多いのが現実です。これらの仮設を巡回するバスが運行されているのですが、バスが来るのは下の道までのため、バスを利用するためには坂を登り下りしなければなりません。これは仮設に暮らす高齢者の方々にとっては無理難題です。これが高齢者の行動を制限しているひとつの原因であると考えております。これを解決するには現地で活動しているNPOなどに働きかけて買い物や通院のための送迎サービスを開始してもらうのが良いと思います。現在も仮設に出向いてお茶を飲んだり、話をするNPOが存在しますが、それを一歩進めて高齢者に行動力を与えるべきと考えます。

今後、復興住宅が建設され始めると多くの仮設が虫食い状態になることが予想され、仮設での孤立が顕在化するのではないかと思われます。
それが現実となる前に行動力の弱い高齢者の方々を病院や役場に近い地域に集約し、送迎サービスを使って行動力を補うようなものが出来れば孤立化を少しでも防げるのではないかと思います。NPOから行政にお願いするのではなく、国や自治体が先頭に立ってNPOを育成するのもひとつの方法かと思います。
   松下徳太郎


                            

納豆届きました!

  3月16日、「川崎市の松下さんから納豆が届きました。毎月ありがとうございます。豊橋市のFさんから缶ビールが届きました」(志津川Canさん)

2013年3月14日木曜日

集団移転の整地が進んでいます!でも、入居は・・。


3月14日、「(南三陸町志津川)入谷桜沢災害公営住宅の整地の進み具合です。7月まで整地する計画です 。整地の後、建物を建てて入居するのは平成27年とか。まだまだです。しかも、この場所は 車の運転できる人しか入居しません。車の運転出来ない高齢者は東地区の災害公営住宅を希望してます、歩いて病院に行けるようにです 」(志津川入谷Canさん)
※三陸町の高台移転は上記図のように「3ヶ所の高台移転」。上記写真の地区は、真ん中の地区で災害公営住宅は此所が一番に始まったところです。志津川中からCan三の住む仮設の中間に建設してます。現在、南三陸町の仮設は3300、災害公営住宅が検察されれば徐々に移転が始まります。家賃が発生します。世話人のCanさんも、中央地区を借地を借り、 家を建てたいと考えています。


2013年3月13日水曜日

あれから2年、気仙沼市津谷では!

3月12日、「こんばんは。ご無沙汰しております。
>皆さんのお陰様で何とか2年が経ちました。様子は何も変わりません、瓦礫が片付いた位です。
>個人的に家は少しずつ建って来ています、高台移転、復興住宅はまだ計画中で平成27年頃から建設に掛かる予定です。
>仮設の方々も諦めの様子ですが、それでも頑張っていますので今後も宜しくお願いします
>写真は瓦礫処理の小泉焼却場です。私も10月から頼まれ週3日事務所で渉外担当として働いています。少しでも役に立てばと思っています」(気仙沼市津谷Sさん)

2013年3月11日月曜日

3.11から丸2年!


3月11日午後2時半過ぎ、「4人のお坊さんのありがたい読経を泣きながら聞いています」(志津川入谷Canさん)

皆さんお体に気をつけて!

3月10日、「横浜のH様から卵ダンボール頂ました。ご丁寧な手紙も頂ました。御礼のハガキをだしました。今まで本当にありがとうごさいました。また、都内のH家さまから日本酒2升届きました。ありがとうございました。最近大分暖かくなりましたが、お身体大切にしてください」
(志津川袖浜仮設Oさん)


横浜の濱田さんの怒りの投書です!

山際さん ご無沙汰しています。
 今日、南三陸のある方から電話が来ました。
 いつもの通り元気なお声でしたが、とても心配なことを伺いました。  
 先日、公営住宅の建設の遅れがマスコミで伝えられました。 何しろ予定の1%にも満たない数十戸しか出来ていないそうです。この方の仮設住宅では、漸く山を切り始め、七月頃に土地の造成が出来るそうで、住宅の建設は来年以降になるそうです。
 仮設は、高台の上にあり、商店は平地にしかないため、買い物にも大変難渋するそうです。  加えて、今仮設に残って居るのは高齢者ばかりになってしまっていますので、坂の上り下りは堪えるそうです。 そして、若い方々は、特に役所に勤めている方々は、助成などを受けて、隣町に土地を求め、家を建てて移住してしまう・・・従って助成申請などの知識も手続きにも疎い高齢者ばかりが仮設に残ってしまう。 復興に取り残されてしまう恐怖にも似た危惧が言葉の端はしににじみます。 幾ら期待できる安倍首相とは言っても、このような末端まで目が届くとは思えないし、なんとか政治に声が届けられないものか・・・と思いました。山際さんの発信力でなんとかなりませんか?
 これを読んだ方々、今一度声を上げて下さいませんか?
(3月8日付け) 

2013年3月10日日曜日

今日は強風でした!


3月11日、「東京都国立市 のH家の皆さま方よりお酒を頂きました 。東北の復興をお祈り申し上げますの 励ましのお手紙も添えて 頂きました ありがとうございます。
志津川中下の河原で強風の中 3人の和尚様に お経を唱えて貰いました。 明日は3ヵ所を拝んで頂きます 団子粉の支援は助かります。本当にありがとうございます」(志津川入谷Canさん)

3月11日が近付いていきました!


3月8日、「横浜市のH様より卵を頂きました。岐阜市のT様より 食料品 お茶 衣類を頂きました。 団子粉は助かります!!3月10日11日は5箇ヵ所分を拝んでもらいます悲しい1日に為ります」(志津川入谷Canさん)

衣類、お線香等ありがとう!


               

 
 3月7日、写真上から①「柏市 M・K様より 衣類、お線香を頂きました。 震災から2年目に何が復興かわかりません 」
 ②「愛知県の加瀬隆之様より カフェラテ、抹茶ラテを頂きました お客様は喜んで飲んでます ご馳走さまです。③東京武蔵野市のK様より スポーツウェアー 食料品 インスタント茶 、お線香を頂きました 役場防災センターで亡くなった方々 老人ホームで亡くなった方のご家族にわたしました。写真撮影はとてもできません ごめんなさい 」(志津川入谷Canさん)

2013年3月3日日曜日

おなかの赤ちゃんは女の子!



3月3日、「写真上。おなかの赤ちゃんは 女の子だそうです。笑顔が良いでしょう。仙台市のTさんからいただいた雛あられ や、ラーメン、卵等を渡しました。  ドリップコーヒーはお客様や私達飲ませて頂きます」「写真下、川越市のS様より下着、靴下を頂きました ありがとうございました、今日は強風で怖いくらいでした 。杉花粉症で薬を飲んでます… 」(志津川入谷Canさん)