ーこのブログは、東日本大震災による南三陸町、気仙沼市の被災者に直接物資支援を行ってきたプロジェクトの記録です。更新は停止していますが、被災地支援の記録として残しています。
≪3・11から1年≫
「私たちは負けない!」(現地世話人)
「苦しみ悲しみ」(ホタテキャンドル)
動画1福洋丸
動画2ホタテキャンドル
2013年3月14日木曜日
集団移転の整地が進んでいます!でも、入居は・・。
3月14日、「(南三陸町志津川)入谷桜沢災害公営住宅の整地の進み具合です。7月まで整地する計画です 。整地の後、建物を建てて入居するのは平成27年とか。まだまだです。しかも、この場所は 車の運転できる人しか入居しません。車の運転出来ない高齢者は東地区の災害公営住宅を希望してます、歩いて病院に行けるようにです 」(志津川入谷Canさん)
※三陸町の高台移転は上記図のように「3ヶ所の高台移転」。上記写真の地区は、真ん中の地区で災害公営住宅は此所が一番に始まったところです。志津川中からCan三の住む仮設の中間に建設してます。現在、南三陸町の仮設は3300、災害公営住宅が検察されれば徐々に移転が始まります。家賃が発生します。世話人のCanさんも、中央地区を借地を借り、 家を建てたいと考えています。
2013年3月13日水曜日
あれから2年、気仙沼市津谷では!
3月12日、「こんばんは
。ご無沙汰しております。
>皆さんのお陰様で何とか2年が経ちました。 様子は何も変わりません、瓦礫が片付いた位です。
>個人的に家は少しずつ建って来ています、高台移転、 復興住宅はまだ計画中で平成27年頃から建設に掛かる予定です。
>仮設の方々も諦めの様子ですが、 それでも頑張っていますので今後も宜しくお願いします
。
>写真は瓦礫処理の小泉焼却場です。 私も10月から頼まれ週3日事務所で渉外担当として働いています 。少しでも役に立てばと思っています」(気仙沼市津谷Sさん)
>皆さんのお陰様で何とか2年が経ちました。
>個人的に家は少しずつ建って来ています、高台移転、
>仮設の方々も諦めの様子ですが、
>写真は瓦礫処理の小泉焼却場です。
2013年3月11日月曜日
皆さんお体に気をつけて!
3月10日、「横浜のH様から卵ダンボール頂ました。ご丁寧な手紙も頂ました。御礼のハガキをだしました。今まで本当にありがとうごさいました。また、都内のH家さまから日本酒2升届きました。ありがとうございました。 最近大分暖かくなりましたが、お身体大切にしてください」
(志津川袖浜仮設Oさん)
横浜の濱田さんの怒りの投書です!
山際さん ご無沙汰しています。
今日、南三陸のある方から電話が来ました。
いつもの通り元気なお声でしたが、とても心配なことを伺いまし た。
先日、公営住宅の建設の遅れがマスコミで伝えられました。 何 しろ予定の1%にも満たない数十戸しか出来ていないそうです。この方の仮設住宅では、漸く山を切り始め、七月頃に土地の造 成が出来るそうで、住宅の建設は来年以降になるそうです。
仮設は、高台の上にあり、商店は平地にしかないた め、買い物にも大変難渋するそうです。 加えて、今仮設に残っ て居るのは高齢者ばかりになってしまっていますので、坂の上り下 りは堪えるそうです。 そして、若い方々は、特に役所に勤めてい る方々は、助成などを受けて、隣町に土地を求め、家を建てて移住 してしまう・・・従って助成申請などの知識も手続きにも疎い高齢 者ばかりが仮設に残ってしまう。 復興に取り残されてしまう恐怖 にも似た危惧が言葉の端はしににじみます。 幾ら期待できる安倍 首相とは言っても、このような末端まで目が届くとは思えないし、 なんとか政治に声が届けられないものか・・・と思いました。山際さんの発信力でなんとか なりませんか?
これを読んだ方々、今一度声を上げて下さいませんか?
(3月8日付け)
今日、南三陸のある方から電話が来ました。
いつもの通り元気なお声でしたが、とても心配なことを伺いまし
先日、公営住宅の建設の遅れがマスコミで伝えられました。 何
仮設は、高台の上にあり、商店は平地にしかないた
これを読んだ方々、今一度声を上げて下さいませんか?
(3月8日付け)
2013年3月10日日曜日
今日は強風でした!
3月11日、「東京都国立市
のH家の皆さま方よりお酒を頂きました 。東北の復興をお祈り申し上げますの 励ましのお手紙も添えて 頂きました
ありがとうございます。
志津川中下の河原で強風の中 3人の和尚様に お経を唱えて貰いました。 明日は3ヵ所を拝んで頂きます 団子粉の支援は助かります。本当にありがとうございます」(志津川入谷Canさん)
志津川中下の河原で強風の中 3人の和尚様に お経を唱えて貰いました。 明日は3ヵ所を拝んで頂きます 団子粉の支援は助かります。本当にありがとうございます」(志津川入谷Canさん)
3月11日が近付いていきました!
3月8日、「横浜市のH様より卵を頂きました。岐阜市のT様より 食料品 お茶 衣類を頂きました。 団子粉は助かります!!3月10日11日は5箇ヵ所分を拝んでもらいます悲しい1日に為ります」(志津川入谷Canさん)
衣類、お線香等ありがとう!
3月7日、写真上から①「柏市 M・K様より 衣類、お線香を頂きました。 震災から2年目に何が復興かわかりません 」
②「愛知県の加瀬隆之様より カフェラテ、抹茶ラテを頂きました お客様は喜んで飲んでます ご馳走さまです。③東京武蔵野市のK様より スポーツウェアー 食料品 インスタント茶 、お線香を頂きました 役場防災センターで亡くなった方々 老人ホームで亡くなった方のご家族にわたしました。写真撮影はとてもできません ごめんなさい 」(志津川入谷Canさん)
2013年3月3日日曜日
おなかの赤ちゃんは女の子!
3月3日、「写真上。おなかの赤ちゃんは 女の子だそうです。笑顔が良いでしょう。仙台市のTさんからいただいた雛あられ や、ラーメン、卵等を渡しました。 ドリップコーヒーはお客様や私達飲ませて頂きます」「写真下、川越市のS様より下着、靴下を頂きました ありがとうございました、今日は強風で怖いくらいでした
。杉花粉症で薬を飲んでます… 」(志津川入谷Canさん)
2013年2月26日火曜日
2013年2月25日月曜日
2013年2月22日金曜日
卵届きました!
2013年2月20日水曜日
お雛さま!
2013年2月14日木曜日
災害公営住宅の着工式!
2月14日「南三陸町入谷桜沢 災害公営住宅の 着工式が午前10時から行われます。 テレビ撮影用のテント椅子等が 設置されてました。 この費用違う所で使って欲しいと思うのは 私だけかな? 」(志津川入谷Canさん)
※3階建ての21戸が二棟 一戸建て住宅9棟が建ちます 家賃が発生します 。
1年11カ月!
2月11日、「2ヵ所のお団子作り 。旭ヶ丘地区の家が残った所と志津川中の下の県合同庁舎があった所。 今は、合同庁舎は 取り壊され更地になりました。
また、気仙沼市小泉の行方不明の方の御供養をしました。
志津川から20分 家のお墓が有るの場所 母の実家が有り 子供の時 夏休みは、ここで過ごした 。大事な故郷だったけど 津波で何もかも、無くなり
寂しくですね…。小泉大橋側の 二つに割れた山 地盤沈下で海に成った赤崎海岸、 辛い光景です
今朝、川崎の松下様より納豆。 埼玉県O様より 自然薯を頂きました 早速小泉地区の方に渡しました ありがとうございます」(志津川入谷Canさん)
」
2013年2月7日木曜日
卵ありがとうございます!
2月7日、「横浜市のH氏から、卵ダンボール箱頂ました。この卵 大人気です。黄身がつまめます。ありがとうございました。 今日は、北方領土の日ですね。まだまだ寒いので、皆さん、体にきおつけてください。それでは」(志津川袖浜仮設Oさん)
自分の土地に建てた仮設!
2月6日、「気仙沼市階上地区、家の一階が津波で駄目になる 被害にあい 家の跡地に仮設を建て、6人で暮らしていました 。 風呂桶は拾ったものだそうで、そこに薪のボイラーを据え付け、周りはビニールシートで覆っていました 。集団で仮設に入って気を使うより、この状態でも、
節分です!
1月31日、「大阪市のK様より、衣類、節分豆等
小さい湯タンポを頂きました、窓越しのお日様は春の日差しに、 なって来ましたね、
小さい湯タンポを頂きました、窓越しのお日様は春の日差しに、
インフルエンザはまだ、流行しています。 皆様気を付けて下さいませ」(志津川Canさん)
2月2日、「川越市のS様よりサラダ油、ハンカチ、靴下等 頂きました、父が亡くなり 今日はお葬式でした 震災後は哀しみは倍です。小さい湯タンポを頂きました、窓越しのお日様は春の日差しに、
2月3日、「親子3代10人家族 荒砥仮設2世帯分に入って居る方です。みなさんからいただいたものをお渡ししました。喜んで帰り した ありがとうございました」(志津川Canさん)
悲しい報告です。
Canさんのお父上が亡くなられました。
「父、安雄は33年前52歳に脳梗塞を患い、心筋梗塞を2回、3年前に又脳梗塞になり 、また、口からの食事の誤飲が原因で肺炎が続いた為、 胃へ穴を開ける手術をし、胃ろうの状態、 言葉もはっきりしない寝たきりで、3、11震災の時は志津川病院に入院中でした。
津波が窓から入り、寝たきりの父のベッドのマットが、 浮いた所を夫と看護婦さんがシーツを持ち上げ、 五階へと助けて頂いたのです。その後、 石巻日石病院から山形県の病院に搬送され山形の病院で手厚い看護 をして頂き、 再び、米山の志津川病院の間借り先に帰ってきました。
志津川病院では、顔見知りの、看護婦さんに、喜んでいました。その後、老人施設との間をいったりきたりしましたが、最後は 隣町の老人ホーム 光風園に落ち着き、園の職員の方々に本当に良くして頂きました、 27日、娘と会いに行った時も何時もの、父でした。寒いので、 早く帰る様、動く方の右手と片言で、雪で、 道路が悪いと帰るのが、大変だからと、思ったのでしょう、 帰れと、言われ、40分も居ないで、又来る~ね バイバイと何時もハイタッチで別れ来たのが、最後でした。
30日朝5時オムツ交換をするさい、反応がないので豊里病院に搬送されました。私は6時前に病院に着きましたが、眠る安らかな顔に安心しました。
携帯電話に父が居る場所の名前が出る度、悪い知らせでは無いかといつも、ドキドキしていました 高齢者が、居る家庭は皆そうだと思います、31日の、火葬 2月2日の、葬儀になりました」
「父、安雄は33年前52歳に脳梗塞を患い、心筋梗塞を2回、3年前に又脳梗塞になり 、また、口からの食事の誤飲が原因で肺炎が続いた為、 胃へ穴を開ける手術をし、胃ろうの状態、
津波が窓から入り、寝たきりの父のベッドのマットが、
志津川病院では、顔見知りの、看護婦さんに、喜んでいました。その後、老人施設との間をいったりきたりしましたが、最後は 隣町の老人ホーム 光風園に落ち着き、園の職員の方々に本当に良くして頂きました、
30日朝5時オムツ交換をするさい、反応がないので豊里病院に搬送されました。私は6時前に病院に着きましたが、眠る安らかな顔に安心しました。
携帯電話に父が居る場所の名前が出る度、悪い知らせでは無いかといつも、ドキドキしていました 高齢者が、居る家庭は皆そうだと思います、31日の、火葬 2月2日の、葬儀になりました」
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